アリウス編3章感想|それぞれの瞳に映る世界

【ネタバレ注意】ブルーアーカイブのメインストーリーVol.6 過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章「遺された未来のためのエクレシア」等の内容を含みます。

推し旅の準備や旅行記で忙しく書けずにいましたがストーリーは読んでいました。めちゃくちゃ良かったです。

まさに「私たちの境界線」を綺麗に描き切った作品。

エデン条約編の設定の活かし方や対比構造、ほのかに香る現代風刺、世界の捉え方、生き方の示唆等々。

多少遅れてでもこの物語について書かずにはいられませんでした。というわけで感想文、始まります。

サオリの「それでも」

私が3章一番のハイライトをあげるとしたら第2話「それでも」を選びます。

その瞬間について語りたいのですが、それにはまず第1話「私たちの憎悪」で得た感情が欠かせないのでまずはそちらから。

私たちの憎悪

アリウス編3章第1話。

「学ぶからこそ、生徒なんだよ」と語る先生にスバルが言葉を投げかけます。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章1話「私たちの憎悪」より

「痛い所突くなー!」って思わず唸ってしまいました。スバルちゃんレスバ強い。

ゲームプレイヤー目線だとエデン条約編はあそこでサオリとミカの物語として綺麗に終わっていたからです。

全ての元凶であるマダムを打ち倒し、サオリはアツコを助けられ、ミカは許しを知りました。

主役はスクワッドでありミカであり、エピローグは彼女たちのその後のみの方がおさまりがよかった。綺麗に幕が引けた。

しかしその影では名の無いアリウス生が行く先に迷っていた。

このスバルの指摘はそういったメタ的意味でも面白い。

先生が先生であり、物語の主人公である以上反論の出来ない鋭利な刃だからです。草葉の影でフランシス(ゴルコンダ)も喜んでいることでしょう。

先生がどう返すのかドキドキしながら読み進めると、ティーパーティーの生徒が何やら暗躍していた様子。

スバルは超常的な力で先生の思考を読み取り「そういう事情であれば」と状況に理解を示しますが、先生がスバルの言葉に返せる言葉を持たないのは変わりません。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章1話「私たちの憎悪」より

事実を列挙されて先生も「……」と口をつぐむしかなく、読んでいる私自身も押し黙ってしまいました。

重たい空気を感じながら読み進めていくと出てくる次の言葉が印象的。

罰は、受け継がれていくものです。
その事実だけは――誰もが認めなければならない。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章1話「私たちの憎悪」より

ミカは「魔女」と蔑まれようともそれを受け入れてでも、サオリに復讐を果たそうとしました。

しかしその果てに相手も自分と同じだという事に気づき、赦しを知ります。

エデン条約編4章 第23話「少女たちのためのキリエ(1)」 より

罰は、受け継がれていくものです。
その事実だけは――誰もが認めなければならない。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章1話「私たちの憎悪」より

あの尊い赦しの真逆はこんなにも重く救いの無い言葉になるんだ……と絶望に近い感情を得たのは忘れません。

これを書いている今考えると、エデンの舞台裏、主役以外の生徒の物語。その代表たるスバルの断罪がミカの赦しの真逆である構図は綺麗だなと思います。いや初読時は「誰も幸せになれない考えだよそれは……」と重苦しさの中沈黙するしかなかったのですが。

そして最後にスバルは「アリウス(私たち)は――馴染めないんです」と外の世界ごと先生を拒絶します。

価値観が違うからと合わせる努力をせず「自分は馴染めないから」と語る姿勢。

一瞬身勝手さを感じてしまいましたが、そう考えるのもまた上から目線で、恵まれた側だから言えるのでは……?私では一生持たざる者の苦しみは理解できないのでは……。と私自身もスバルに何も言えなくなっていました。埋まらない価値観の相違。私たちの境界線。

先生も私も不理解の壁に阻まれスバルが立ち去ろうとするのを重い気分で見ているしかできませんでした。

しかし

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章1話「私たちの憎悪」より

うおおおおおおおおおおおおおお!!サオリいいいいいいいいいいいい!!

叫ばずにはいられませんでした。

そうです。先生の立場では何も語ることが出来ない。

もしスバルに響く言葉を投げられるとしたら、同じアリウスという境遇にいたスクワッドだけ……!

この時の興奮は凄かった。まさに真っ暗闇の曇天が一気に晴れ渡った気分。ブルアカ宣言聞いた時のアズサってこんな気持ちだったんじゃないでしょうか。

そして次回タイトルが「それでも」なのあまりに熱すぎない!?

それでも

という事で私がアリウス3章で一番好きなパートです!!

前話からの繋ぎ、サオリの軌跡、回想、人生哲学……どこを切り取ってもメインディッシュ。旨味しかない。全部語りたい。

しかし文字数膨大になってしまうので特にお気に入りの場面だけ順番に語っていきます。

サオリの軌跡

スバルを引き止めたサオリは自分たちがアリウスにいた時の事を振り返り、

「結局過去を超えることは出来なかった」と語ります。スバルは慰めを返すのですが

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章2話「それでも」より

サオリは「人は、生きてきたようにしか生きられない」に同意しつつ、「アリウスにいた頃まではな」と続けるのです。

いや……この台詞をサオリが言ってくれるのが本当に大っ好きで。

エデン条約編の後、サオリが辿った道は決して平坦なものではありませんでした。

サオリの絆ストーリーではどれも知識が無い事から騙され、利用され、メモロビでさえ悲壮なシーンが描かれています。初めての外の世界は今のアリウス生とそう変わらないものでした。

サオリ絆ストーリー 3話 「自責の念」より

ですが最後に先生に契約書の勉強を約束させられ、

そうだな……。私には、まだ……。
……まだ。学ばないといけないことが、たくさんある。

サオリ絆ストーリー 3話 「自責の念」より

と、語ります。「何も変わらない」から「変えるために学ぶ」意志が芽生えました。

イベント「0068 オペラより愛をこめて!」ではきちんと契約を交わして裏社会の大物に雇われたサオリが登場します。

しかし『護衛』の解釈違いから裏切り者扱いされて任務は失敗。ですがアルの「仕事を続けていると、これくらい起きるものなんだから!」の言葉(強がり)に「なるほど、そうやって受け流すのか」と柔軟さを学びます。ドレスをちょっと気に入ってそうで「好きなもの」が生まれつつあるのもいい。

0068 オペラより愛をこめて! エピローグ「こういう日もある」より

0068 オペラより愛をこめて! 第5話「手慣れてそうで不器用に(1)」より

そして迎えた「Sheside outside」。

Sheside outside 第4話「一人前の焼きそば(2)」より

契約書に騙されず立派にお金を稼ぐことができ、仲間にプレゼントを贈れるようになったサオリの姿。DJの練習から楽しさを見出す様子も見られました。

ブルーアーカイブ公式youtube 「Sheside outside」アニメPV 26秒より

ミニゲームシナリオの「スクワッドが思い出を残す方法」で取った思わしき写真は公式PVから見られます。過去と似た構図でありながら皆笑顔を浮かべているものでした。

そして今回、先生のお腹に刻まれた罪と罰を指でなぞった末の慟哭。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編1章10話「傷と痕跡」より

この「外の世界」での苦節と軌跡を見て来たからこそ「――アリウスにいた頃まではな」がとても眩しい。

サオリは自分も外の世界を知らずにいたならば、スバルのように知らない事は全部否定して生きていただろうと続け、スバルは「非難するつもりですか?」と返します。是非を決められるものではないとした上で、

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章2話「それでも」より

サオリが語るこの言葉の説得力たるや。丁寧に積み上げられてきたこれまでの描写があるからこそスバルに説く一言一言が輝いています。サオリが引き止めたあたりから感じていた「あ、これがっつり良シナリオだな?」がこのあたりで確信に変わっていきました。

決して諦めない人

さらにサオリは「自分の知らない外の世界を少しでも学んでから考え直さないか?」とスバルに提案します。

何も知らないトリニティのお嬢様が言うのではなく、アリウスで同じように底辺で這いずり回った自分やスクワッドの意見ならばどうか、と。

自分も能天気な楽観主義なんて好きじゃなかった。

そう語りながらも「だが、例外はいた。むしろ――」と続けます。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章2話「それでも」より

ここでひとっっっことも「諦めない人」の名前もシルエットも出さないでただあの路地裏と花だけ写すのバチバチにエモくないですか?

演出班さんありがとうございます。最高のお仕事でした。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章2話「それでも」より

からのこの2節。暗転戻って苦笑しているサオリ。ここが私の初読時瞬間最大風速。

「空気うめーーー!!アリウス編3章最高ーーーー!!」

とにっこにこで読み進めたのを覚えています。BGMやSEも完璧でした。

今のVanitas vanitatum

そんなサオリの言葉もこれまでを知っている私にはこの上なく響きましたが、スバルには届きません。

「そんな風に分かった顔をして、アリウスをお前のものみたいに見下すな。」

とさえ告げるスバルに、「私はただ――」と。

(あの日以来、初めて見上げた空は、ただ青く澄んでいた)
(だからこそ、改めて思い知らされた)
(ああ――きっとこの世界は、ずっと前から変わらずに、そこにあったのだと)

(目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない)
(すでにあるものは、後にもまたある)
(先になされた事は、また後にもなされる。日のもとに新しきことなし)

(幸せなこと、辛いこと。傲慢も、謙遜も。……怒りや憎しみさえも)
(それこそ――)

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章2話「それでも」より

ここでのVanitas vanitatumはエデン条約編で用いられたマダムの教え、

「生の謙虚さを教える金言は、無価値な空虚へと歪曲し」

を成すvanitasとは明らかに異なっています。

むしろ前者の「生の謙虚さを教える金言」として用いられているように思えます。

もう一度1節ずつサオリの言葉を追って考えてみます。

(あの日以来、初めて見上げた空は、ただ青く澄んでいた)
(だからこそ、改めて思い知らされた)
(ああ――きっとこの世界は、ずっと前から変わらずに、そこにあったのだと)

この空を見上げた時がいつなのかは分かりません。

マダムの呪縛から解き放たれ自分探しを始めたエデン直後かもしれませんし、挫折を繰り返し遮二無二走り抜けてSheside outsideで仲間と笑顔で写真が取れた後かもしれません。個人的には後者を推したいところ。

「青く晴れ渡る空の下へ……進んでいった」とアズサを評した時の比喩という考えもあります。

大切なのはサオリが「この青く澄んだ世界はきっと、ずっと目の前にあったんだ」と気づいたという点でしょう。

続いて、

(目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない)
(すでにあるものは、後にもまたある)
(先になされた事は、また後にもなされる。日のもとに新しきことなし)

こちらは旧約聖書からの引用ですね。アリウスの外典にほぼ同じ言葉があると2章ラストで示されています。

要約すれば最後の一文に集約され、「この世に新しい事なんてない」というvanitasに近い諦念や空虚さを感じる言葉でもありますが、サオリの用い方は少し違った意味に感じます。

一節前でサオリは「きっとこの世界は、ずっと前から変わらずに、そこにあった」と言っています。

にもかかわらず「空がただ青く澄んでいた」ことを初めて知ったかのように語ります。

なのでここでの引用は「この世に新しい事なんてない」から「全ては自分の受け取り方次第である」という意味なのだと私は解釈しています。

怒りと憎悪に囚われた瞳を通せば灰色に曇った世界が映り、余計な感情に縛られず素直な目で見れば自然のままの青く澄んだ世界が広がる。

世界は「ずっと前から変わらずに、そこにあった」。何も変わらず新しい事もない。

変わったのはただ一つ。自分の見方だけ。

最後にその考えをすべてに適用するように

(幸せなこと、辛いこと。傲慢も、謙遜も。……怒りや憎しみさえも)
(それこそ――)
全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。

と結ぶのです。

これまでの文脈を考慮すると、幸せな事でも、辛い事でも。

「すべての事象はただの事象でありそこに意味は無い」

つまり

「全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ」

だから、

「そこに意味を与えるのは、それをどう受け取るか次第。自分で決めることだ」

たとえそれが辛い事であれ、怒りであれ、憎しみであれ。私はそう読み取りました。

だからこそ、

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章2話「それでも」より

こう語るし、そう考えた決断として自首を選ぶのだと思います。

過去の罪と向き合い牢に送られる事は決して簡単な選択ではなく、痛みを伴うものです。しかしそこにどんな意味を与えるかは自分次第。

サオリは罪に対し「逃げ続ける事で生まれる罪悪感と後ろ暗さ」という意味を持たせ続ける人生を「惜しい」とし、「自分の望む形で生きるために向き合うべき道程」という意味を持たせました。であればこそ清々しく自首の決断を語れたのだと思うのです。

この「不幸も悲しみも全ては自分の受け取り方次第」という考え、私めちゃくちゃ好きなんですよね。

私も去年冬コミをコロナで行けなくなって悲しんでましたが、おかげで1月のブルアカふぇすは免疫的にコロナ気にしなくてよくなりコミケ分の資金をそちら&一番くじに回すことも出来ました。

今年はふぇす2日目外れてしまいましたけど、去年一昨年とフル参加した私ではなく別の人が2日目を楽しめる=ファンが残る確率が増えてブルアカがより長く続いてくれるかもしれないし、私も1日だけな分全力で楽しむぞって気持ちも湧いてきています。

サオリと比べたら超低次元なお話なのはご容赦あれ。

先ほど「それでも」の部分が「初読」最大瞬間風速と言いました。

感想を書くために読み直している最中での最大瞬間風速は間違いなくこのサオリの人生哲学であり新たなVanitasの受け止め方です。読み返していく中でどんどん好きになるんですよね。アリウス3章。

思い通りにいくことの少ない世の中だからこそ、起こった出来事を自分がより辛くなるように受け取る事はない。全ては空なのだから。持たせる意味は自分で選べるのだから。

その思想が好きで、かつそれを語るのがサオリというのが納得感もあって最高な場面でした。

スバルが語る

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章2話「それでも」より

出来事は発生した時点で意味を持つ、と対称的になっているのもいいですね。

だからこそスバルは自分のものではない過去の憎悪と怒りに固執し、そうある人生を「惜しい」としたサオリと相対しているのですから。

私たちの境界線

お前に……マダムが去った後のアリウスの何が分かるって言うんだ!
(中略)
スクワッド(お前ら)は全部放り投げて逃げ出したくせに!

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章2話「それでも」より

サオリが同じアリウスの立場から説いても、新たな世界の捉え方に気づいたとしても。どれもスバルの考えを変えるには至りませんでした。ミサキには「リーダー、ちょっと煽りすぎたね」と言われる始末。

私自身サオリの考えに強く共感していただけに、直後の拒絶にはスバルとの間にある境界線をこれでもかと感じさせられました。

しかし

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章3話「ラッパ吹きの天使」より

そこで現れるのがアリウスのロイヤルブラッド、秤アツコ……!

サオリの時もそうでしたがまさにこのタイミング!で登場させてくれますよね。好き。

さてここからアツコがアリウスや今の現象について語ったりするわけですが、一番語りたい部分だけ語りますね。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章4話「ロイヤルブラッド」より

御旗としてモノとして便利に扱われて、自分で何かを決めるなんてことは全く許されなかったのがかつてのアツコでした。

トリニティから支援の手を差し伸べられても「受け入れる」「跳ねのける」という選択があって、後者を選ぶことが出来たスバル。選択肢さえ与えられなかったアツコ。自分の道を決めていたのは常に他人だった。

だからこそサオリがその手から無理やり奪ってくれた瞬間は本当に世界が変わったんだろうなと思います。

アリウスで誰よりも「誰かが手を差し伸べてくれることのありがたさ」を知っている子なんじゃないでしょうか。

支援の手を払いのけたスバルにどんな思いを以て言葉をかけているのか、その心情を想像せずにはいられません。

助けてくれたサオリに、先生に、ミサキとヒヨリにありがとうと告げながらアツコは続けます。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章4話「ロイヤルブラッド」より

このアツコの身の上話はスバルの「マダムが去った後のアリウスの何が分かるんだ」に対する回答なのかなと思っています。

「じゃあスバルは私のこと、知ってる?」

と問い返しているように思えるのです。

それは決して「私の方が不幸だった」なんて奴隷の鎖自慢をしたいわけではもちろんなくて。

貴方は自分たちの苦しみが私たちに分かるわけないというけど、貴方も私の苦しみを知らないよね?と優しく諭しているような。

他の人には他の人なりの苦しみがあって。

自分が世界で一番不幸だと思ってしまうことは、その可能性から目を背ける事。

「自分の悲しみが分かるはずがない」は当たり前で、そう語る自分もまた他者の悲しみを知りはしない。

『私たちの境界線』

1章のではありますがめちゃくちゃいいタイトルだなって思ったシーンでした。

スバル、サオリ、アツコ。一部似た境遇を持ちながらそれぞれの人生を生きて、それぞれの苦しみを味わって。

自分の世界にだけ目を向けて痛みの塔を築き上げる人、他の世界を知って世界の見え方が変わった人、自分で選択することさえ許されなかった人。

それぞれの主張と立場から語られることでこの境界線が明確に浮かび上がってきて、「それぞれの譲れない一線」や「行動に対する信念」を考えさせられるところがとても好きです。スバルはちょっと損な役回りかも。

そして決して交わらないこの境界線の行方が

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章5話「あの日のハーモニカ」より

これなのも大好きです。

いやでも実際そうなんですよね。自分の価値観を一新するなんてよほどの挫折を味わったり暴力的な運命に叩きのめされるしかないと私も思います。だから企業も昔はスパルタな新人研修でまずプライドをへし折ったりしてたわけで。

ブルアカのストーリーで見てもその点は顕著に描かれているように思えます。

「私たちもそうだったから」と言うようにサオリが先生に助けを求めたのもアリウスを追われそうする以外に方法が無かったからですし、その一端には自分と異なる信念を持ったアズサに打ち負かされた事もあります。

ミカが赦しを知ったのもあの暗い失意の果てにサオリが自らと同じだと気づいたからですし、「幸せになるよ」と言えるようになったのも何度も苦悩した末に辿り着けた境地でした。

逆に新春電脳行進曲では嫌々ながらも連れられたヴェリタス3人が、外も「悪くないかも」と思った後のオチとして結局ゲームが主軸は変わらず…というちょっとの変化はあっても大きく価値観を変えるのは難しい事も示されています。

だからこのアリウス式の結論が「なんだかムカついちゃって」の文脈も持ちつつ納得できる帰結なの、いいなーって思うのです。

ナギちゃんの献身と涙

第8話 ティータイム。「ナギサが守りたいものは、何?」と問う先生にナギサはこう返します。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章8話「ティータイム」より

うおおナギちゃん今回も善き人であり理想的指導者を体現してる……!なんて前回と同じようにきゃっきゃしていたのです。

が。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章8話「ティータイム」より

絶句。

いや思ってました。思ってたんですよ。

「あまりに」善のもの、とはいえ「あまりに」が出来過ぎていると。

でもそれがナギちゃんなのかなと思ってきゃっきゃしていたあの日の私を張り倒したい。

ナギサ。渚。凪ちゃん。当て字にしてみたけどその心中全然凪いでなんかいなかった。嵐の中必死にしがみついてた。折れないように帆を張り続けてた。いつか空が晴れる日を夢想しながら。

だって「今までずっと、ずっと……」ですよ。それを前提としたらあの理想的にも過ぎる善性と献身は「それでもまだ私は許されていない」が胸の奥にあったからじゃないですか……?

その気持ちが少なからずあったからこそあそこまでの「善い人」であり続けられた、あり続けなければならなかった。あの罪を償うためにも。皆に優しい先生にさえあそこまで言わせてしまったのだから。……うわーそう考えると過剰なまでの善性が全て納得できてしまう……。

言葉はずっと胸に刺さり続けてたんだろうなぁ……。あの瞬間が夢に出て、飛び起きて、嫌な寝汗と動悸を落ち着かせながら一人泣いた夜も数えきれないほどあったのかもしれない。

先生の謝罪でこの本音と涙が止まらなくなってしまったのがまた苦しい……けどいいシーン……。

「ようやく許された」って。

そう思ったかは分かりませんが少なくとも緊張の糸は切れたのだと思うのです。

「どうして私にだけあんなに厳しかったのかと」

その言葉を、しかしナギサは今までずっと胸の内にしまってきました。

それはきっと補習授業部に対して行った事に対する罪悪感からであり、それは自分が受けるべき罰と思っていたから。その言葉を口にしてしまえば、他責を外に出してしまえば、自分は折れてしまうからと。贖いの善性を保てないからと。その時点で十二分に内省力とメンタル凄すぎるのですが。

そして謝罪とは自分の過ちを認める事。ナギサが「全て自分が悪いのだから」と自責に駆られていたならば、先生の謝罪は「いや私が悪かったんだ」となり、感じていた罪の重さの半分は先生の肩に移ったことでしょう。心の奥で弱音をせき止めていた罪悪感と責任感が一気に軽減されれば感情も涙となって溢れましょう。

先ほどスバルに対してアツコが「じゃあ私の苦しみを知っている?」と諭すように感じたとお話しましたが、ここだと私が諭される側でした。憧憬もまた目を曇らせる。私たちの境界線。私は百花繚乱2章で何を学んだというのか。

  • ナギちゃんへの申し訳なさ
  • 他者を知ることの難しさ
  • 過剰なまでの善性の理由

このあたり全部感じられて、考えさせられて、かつナギちゃんの人間らしさを感じられてとても良い一話でした。

先生の謝罪についてはグローバル版だと日本語版と比べてかなりキツめの表現が成されていた事に起因しますが、おそらく感想記事を読まれる方には釈迦に説法かと思いますので割愛。ピクシブ百科事典が詳しく記載されておりましたので気になる方は是非ご一読を。

グローバル版表現の外部解説:ピクシブ百科事典 「今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ」

その他好きポイントと学生時代好きだった曲

ちょっと散発的だけど語りたかったシーンや思いを巡らせたことについてちょっとだけ語ります。

その他好きポイント

ポルタパシス――ここに記録されているすべてが、
私達にとっての「勉強」です。

過ぎ去りし刻のオラトリオ編3章1話「私たちの憎悪」より

物語として読んでいるときはそれを「勉強」とするスバルの考えに未熟さを感じてしまっていたけれど、現実を生きる私はじゃあどうなのだろう?

自分の痛みに敏感で、他者の裏にある痛みを想像できず、外部から与えられた自分のものではない価値観や思想に振り回される。

自分に合うよう選別された情報によって考え方は先鋭化の色を強めていく。

スバルは私達なのかもしれない。

SNS全盛期でネット社会である今、なんとなくその姿に自分を重ねてしまうのです。

自分の憎悪と同じベクトルの情報だけを学び続ける。自分の世界に適した情報だけに傾倒し続ける。そんなスバルの様子には、AIが気になった情報だけを選別して与えてくれる昨今のコンテンツ供給事情を重ねずにはいられませんでした。ほのかに感じる社会風刺が好き。

あとは「思っていたよりもあっさり問題片付いてトリニティにも受け入れられたな」感についても語りたい。

2章終了時点で天使は終末を予言するというしこれはきっと大ボスも出てきて一大決戦!もう新ボス候補かー!なんて、少なくとも私はそう思っていました。

ところが実際は天使の一人と化したスバルを倒して危機はおしまい。その話数なんと10話中5話目で決着。6話を挟んで7話ではもうアリウス生がトリニティに受け入れられている様子が描かれています。

この物語は極端に圧縮してしまえばスバルが「アリウスは外の世界に馴染めない」と一切を拒絶して自分の世界とエゴを固持し続けたお話とも言えると思います。

今回ゲマトリアのような悪い大人はいません。デカグラマトンのような種としての存在が異なる相対者もいません。

過去の亡霊と自分の世界に囚われた生徒がいるだけ。

その視点で考えると「思ってたよりあっさり……」感をプレイヤーに与えるのはうまいなーと思うのです。

それは変化を極端に拒んだスバルの「壁を現実以上に肥大化させていたのは自分」という状態に近い物だから。

自分にとっては大ごとだとしても、勇気を出して、もしくは打ちのめされてでも一歩外に出てみたら存外なんとかなるものだよ。そんな人生賛歌のようなものを私は勝手に感じ取りました。

他にもあげたい場面はいくつもあるのですが、どれも自分の生き方を振り返る考えにつながって、そういうところにほんのり人生哲学のようなものを感じるのでした。

学生時代好きだった曲

ブルアカと全く関係ない曲を聴いていても「あ、なんかあのキャラに合うかも」と感じる事ってありませんか?

今回私がアリウス3章に……というよりは梯スバルという存在に滅茶苦茶マッチすると思った曲がELLEGARDENのLonesome。

“あの人によって自分が変わっていくことを認めたくない、自分とあの人で世界の見え方はきっと違うもの、世界は私を置いて行ってしまう”

そんな感情を歌った曲で、先生による変化を受け入れられないスバルの視点に驚くほど重なります。

学生時代私この曲が大好きだったんですよね。

だから今の私から見たらスバルの姿は意固地で視野が狭く見えてしまうけれど、

あの頃の私がアリウス3章を読んだら「わかるよ」ってスバルに共感してたんじゃないかと思うのです。

今の私と、あの頃の私の間にもきっと境界線があって。あの頃の私が見ていた世界と、今の私の世界はきっと違っていて。

あの曲に感傷をゆだねていた自分が今の感想文を見たら「変わっちゃったんだ」って寂しい目で言うような気がします。

私たちの境界線。過去の私との境界線。

いつから私はあの日の私ではなくなったのか。それは成長なのか喪失なのか。

今の自分も結構好きだけれど、でもあの日の弱く繊細で自分勝手だった自分も愛おしい。そう考えるとスバルをもっと好きになれそうで。

なんかそういう所まで思いを巡らせてくれたのもかなりの好きポイント。

このお話やスバルについて考えれば考える程、自分の世界についても考えさせられています。そこがまた良い。

まとめ|エデン条約編とは異なる「良い物語」

エデン条約編は物語としてとても綺麗で完成されていて、でもだからこそ私は「物語」として楽しんで満足してしまった。

そこにはきっとアリウス1章ナギちゃんに対する憧憬に似た感情が含まれていて。

その瞬間「尊いな」とは思えても、じゃあそれを自分の生き方や人生に反映できたかというと、

「美しい物語」で終わってしまって教訓とは出来ていなかったような気がします。

一方今回のアリウス編3章は物語としてみると格段に泥臭い。

スバルはサオリに対するミカのような理解も得られないし、尊い赦しに至る事もない。

とことん自分の世界に固執するし、最後も過去に対するもやもやを残したままトリニティで試験を受ける。

快刀乱麻を断つような悟りや結論は無く、納得しきれなくとも嫌々でも世界は前に進む。でも自分が心配していたほど悪い方には転がっていないのかもしれない。

そんな物語としては煌びやかさに欠ける内容だからこそ、私たちの現実により近くに感じられる。

だからアリウス編は人生哲学を強く感じるし、自分の在り方を考えさせられたなぁと思うのです。

エデン条約編を「超えた、超えてない」なんて比較し優劣をつけたいわけでは決してなく。

一つの物語の表と裏として。

洗練された綺麗な物語の幕引きとその幕裏で続いていた舞台役者のノンフィクションとして。

それぞれが別のベクトルで「良い物語」なのが私はとても大好きです。

上手く〆られているか分かりませんが、アリウス編3章に対する思いのたけは吐き出せたので満足。その結果がこの文字数か?はいぃ……。

ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら感謝しかありません。本当にありがとうございます。

それでは、よい年末を。

© NEXON Games Co., Ltd. & Yostar, Inc.
今回の記事上で使用しているゲーム画像の著作権、および商標権、その他の知的財産権は、当該コンテンツの提供元に帰属しています。

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