百花繚乱編2章考察|黄昏とかいう領域展開と呑まれたナグサの腕

【ネタバレ注意】ブルーアーカイブのメインストーリーVol.5「百花繚乱編」2章の内容や設定を含みます。

前回文字数の関係で混ぜ込めなかった黄昏について考察気味に語る記事です。

  • 黄昏とは結局どのようなものなのか
  • ナグサの腕は何故戻ったのか
  • 動かなくなった腕と動けているアヤメの違い

このあたりについて関連しそうなシーンを振り返りながら自分なりの考えを語ってみます。

百花繚乱編2章のここ好きを語った記事はこちら(前編後編)なのでもしよろしければ。

黄昏とは何なのか

2章の中で頻出しながらもちょっとフレーバー感ある「黄昏」「黄昏に呑まれる」という概念。証言や関連したシーンを追いつつ考えてみましょう。

勘解由小路家の怪しい医師の発言

ナグサの腕を見た怪しいお医者様はこのように語っています。

見たところ……数か月ほど前に切断され、
今は遠いどこかへ放置されている――そんなところでしょうか。
例えば……底知れぬ常闇――「黄昏」の中、とか?

一見普通の草でも、その実生きながらにして死んでいる――
命の息吹を感じられない「影」のような状態。
現地の方々が言っていましたよ、「あれは黄昏に呑まれたんだ」と。

 ※百花繚乱編2章4話「勘解由小路家の貴人」 より

これをまとめると黄昏に呑まれたものは

  • この世界では「生きながらにして死んでいる」「影」のような状態となる
  • 本体は「黄昏」の中

という事になります。「黄昏」は異空間。「呑まれる」と本体が黄昏側に行ってしまい、影が残された状態を指すようですね。少なくとも物質面ではそう考えても良さそうです。

ところでバンザイ体操動画布教って医師としての善意?キサキへのちょっとした悪戯?

稲生霊怪録が生む領域

百花繚乱の面々が稲生霊怪録により己自身と向き合わされる中、一人怪書の影響を抜け出したナグサに対しコクリコは言います。

黄昏の中から、まさか自身の影のみならず、他人に差し伸べた手をも掴むとは。
おまえさんは、場をかき回す才があるねえ……。

 ※百花繚乱編2章 第26話「暗く、深い影の底から」 より

黄昏!?さっきの!?正直ここで出て来るとは思いませんでした。稲生霊怪録が発動した時に背景が暗闇に変わった演出も加味すると

  • 稲生霊怪録が発動すると領域が作成される
  • 領域内の人間は暗闇の中で弱さも含めた己を省察させられる
  • その領域が黄昏

といった感じでしょうか。

百花繚乱編2章 第25話「三冊目の怪書」 より

領域内ではこのように自分の弱さや不安を口にする影と実体の立ち絵がそれぞれ表示されます。では実態が本体かというとこのレンゲのように弱い自分を嘲笑するような言葉と表情だったりしてそうとも言えなそうです。「己を省察している自分」といったところでしょうか。

なお日本語としての黄昏は、語源として「誰そ彼時」であり夕暮れの暗さで人の見分けがつかない時刻が由来です。

そう考えると「お前は何者だ?」と強制的に己自身を見つめさせられるこの空間はまさに「黄昏」と言えます。

きっと黄昏に呑まれた草もこの領域に巻き込まれたのでしょうね。植物になんて哲学的な問いを。抜け出した植物がいたら植物界のデカグラマトンになれそう。

ナグサの腕が戻った理由

さてそうなるとナグサの腕のみが黄昏に呑まれた理由は恐らく、アヤメを取り込む領域に手を伸ばし飲み込まれたからでしょう。

そして問われたんじゃないでしょうか。誰そ彼、つまりその手は何者なのか。「何のために伸ばした手なのか」と。

アヤメに拒絶されたことでその手は目的を失い宙に浮いたままになってしまいました。アヤメに掴んで貰うための手であったために、誰そ彼の問いに答えられなかったわけです。

となれば戻った理由は一つしかありません。

クズノハに諭され「アヤメが私を求めていなくても、そばにいたい」と自身の気持ちに気づけたからです。あの瞬間から「アヤメのために伸ばした手」ではなく「自分が伸ばしたい手」に変わったのでしょう。前者は否定されたら理由を失いますが、後者は違います。

そんなナグサを見たコクリコも、手を伸ばすことの無意味さをもう知っていたのか……とこぼしていましたね。

つまり「無意味だとしても伸ばしたい手」だと「誰そ彼」の問いに答えを出せたことが腕が戻った理由ではないでしょうか。

ただここでちょっと気になるのが「ナグサの腕はいつ戻ったのか」問題です。

場面的には黄昏の領域に飲み込まれた後で戻った=その瞬間と考えるのが一番正しそうです。でも腕が戻った理由が「何のために伸ばした腕なのか」の答えを得たことならそれはクズノハとの問答後に戻っていたことになります。

どうなのでしょう。

物語上は「腕の意義を理解した上で領域に呑まれたからつかみ取れた」だと思っています。

一方で「でも自分の事『美人なところしか取り柄が無い』って言うよ?ここぞのタイミングがカッコええやろなぁって思ったりしない?ちなヒマリなら多分やる」と内なる自分が囁いてもくるのです。

6:4くらいでやりそうか……?

百花繚乱編2章 第20話「本当の姿」より

……黄昏から出た後ですね!

黄昏に呑まれたアヤメ

次の症例として黄昏に呑まれたというアヤメについて考えてみます。

動かなくなってしまったナグサの腕と違って、アヤメの体に不調は無いように見えます。何故なのでしょうか?

比較しやすいよう呑まれた結果についてそれぞれまとめるとこうなります。

  • 自分は何者かに答えが出せない(ナグサの腕や植物)
    • 疵となって「生きてるけど死んだ状態」になる
    • 腕は動かない&幻肢痛有
    • この場合本体は黄昏に残ったまま(腕のお話より)
  • ???(アヤメ)
    • 仮面の剥がれきった姿で戻ってくる
    • 体は自由に動く
  • 自分の影も全て含めて自分だと答えを出す(ナグサ)
    • 何も変わらず戻ってくる
    • 体は自由に動く

並べてみると???の部分には何が入りそうに思えますか?

私は「誰そ彼」に対して「仮面の裏に隠した影こそが本当の自分」という答えを出したのがアヤメなのではないかと思うのです。1章で先生が語るような「仮面も含めて自分」とは思えなかったんじゃないかと。

クズノハが「黄昏のなか彷徨っている其方の友も……伸ばしたその手も」とナグサの腕と並列で語っていることも考慮すると、ナグサと植物の中間のような状態がアヤメなのかもしれません。

弱い自分を「本当の自分」としたので実体は黄昏を抜けた。しかしそれは仮面を「本当の自分ではない」とする事でもあります。つまり仮面の側は「誰そ彼」に答えられなくなるわけです。

今は仮面と化しているとしても、いつか純粋に百花繚乱委員長を目指したアヤメはいたはず。「黄昏のなか彷徨っている」のはそういったアヤメなのでしょう。

百花繚乱編2章 第21話「視線」 より

……個人的には今の悪態つきまくりの黒アヤメかなり好きなので、黄昏を彷徨う仮面側が戻ってきた時に「皆大好きな太陽のように明るい百花繚乱委員長」になってしまったら少し残念ではあるのですが。P5の明智君とか好きです私。

あと「誰そ彼」に答えられない、つまり自分が何者か分からない状態を「生きながらにして死んでいる」とするの風刺が効いててよき。

シュロが黄昏に飲まれる意味

前回の記事で語りましたが、コクリコはシュロをかなり特別視しています。その上「今すぐあのバカを黄昏に放り投げて――」というアザミに対し、

あの子が我にとってどんな存在か――知らぬわけでもないだろう?
それとも、おまえさんの未熟を我に押し付け、憂さ晴らしをする腹づもりかえ?

シュロを黄昏に、と言った。
それがどんな結果を招くのか……怪芸家のおまえさんはよぉく知ってるはずだ。

 ※百花繚乱編2章 第25話「三冊目の怪書」 より

こんなやり取りまでしています。ここから得られる情報は以下の通りです。

  • アザミはコクリコにとってシュロがどんな存在か知っている
  • シュロが黄昏に放り込まれることは明確にコクリコの不利益
  • それが招く結果は怪芸家なら分かり切ったこと

私はシュロをコクリコが20年前身に纏った「絶望と憎悪」の現身のようなものだと思っています。このあたりは前回記事で語ったので詳しく読みたい方は是非。

ここで気になるのが「20年前の絶望と憎悪」という点です。前回はこの「時間」という面についてあまり考えられていませんでしたが、20年って相当ですよね。世に生まれ落ちた子が成人式で壇上に上がるまでの膨大な時間です。

家と立場を追われ縋った信仰にも裏切られた……確かに軽くはありません。ですが大切な人を噂や物語によって失ったというわけでもありません。

20年……若かりし日のその「絶望と憎悪」、色褪せず残っているものでしょうか。記憶の中の絶望に塗れた風景は、本当にあの日と同じ色でしょうか。そんな感覚を、コクリコ自身も持っているのではないでしょうか。

もしそうであるなら、あの日の憎悪と絶望を正しく世界に問えるのは現身であるシュロだけ。そう考えるとシュロがコクリコにとってどんな存在か分かる気がします。

そして百花繚乱編2章16話「造花」にてシュロは「噂が静まった時、コクリコ以外の記憶を持たない自分はどうなってしまうのか?」と不安げに問いかけています。

こんなシュロが黄昏に放り込まれた時、「誰そ彼」の問いに答えられるでしょうか。

答えられたとして、それは「自分なんて存在しない」という事実が明らかになってしまうだけではないでしょうか。

答えられなければ「生きながらに死んだ状態」となり、答えようにも答えは「自分が存在しない」という事実のみ。

どちらにしても「あの日の感情の現身」は消えてしまうわけです。20年経った今の自分の感情しか残りません。

これが「シュロを黄昏に放り込む」意味であり、コクリコがアザミの言葉に激怒した理由かなと私は考えています。

ちょっとだけ気になってしまった点

全体的にクオリティ高めの2章でしたが、「あれ?ここってそんな流れだっけ?」と感じた部分についても少しだけ。

牢屋から先生を人質として連れ出し百蓮もナグサに持たせず完全優位で黄昏の寺院に向けて出立したシュロ。

  • 道中優位←わかる
  • 寺院ではクズノハにやり込められて不利←わかる
  • 寺院から百鬼に移ると連行される側に←わかんない!

黄昏の寺院では「百蓮の無い手前には何もできないんですからぁ」と確かに言われていたはず……。いつの間に百蓮手に入れてたのん……?

またそこを確認するため見返すとクズノハに撃たれた後「百蓮もないのに、怪書を無効化するなんて」とも言っています。あれシュロちゃん怪書持ってたっけ?自虐的ネタバレ?対して百鬼では「怪書さえあれば手前らなんて」とも。どっちなんだい!

考えられる線としては

「百蓮をどこかに隠したりせずシュロが持ち歩いていて、寺院でクズノハに懲らしめられた時に両手お縄にされて百蓮もナグサに」

これなら両手縛られてるから人質先生も撃てないし完璧~。怪書あったりなかったりするのは知りません。

でも「怪書を無効化するなんて」が本当に自分の事で「怪書さえあれば手前らなんて」は怪談を生み出すという意味での怪書(稲生物怪録等)だとしたら一応筋は通る……。え、狙って書いてません……よね?

まとめ「誰そ彼」への答え

という事で黄昏について考察してみました。現象としてはコクリコがさらっと言っている通り稲生霊怪録が作り出す領域展開のようです。

ただ領域に呑まれた後の展開が各々違っていたのが結局どういうものなの?となりやすいポイントだったのかなと。私は「誰そ彼」の問いに自分で答えを出せたかによって結果が変わったと思っています。ざっくりまとめると

  • ナグサの腕・草:答えが出せずに黄昏の疵として影だけが残る
  • アヤメ:片面のみの答えで極端に寄った存在に(もう片面は黄昏の中)
  • ナグサ:仮面もその裏の弱い自分も全て自分として受け入れ書を閉じる
  • シュロ(仮定):答えを出しても出せなくても消えそう(予想)

こんな感じで私は賭けもとい解釈しています。クズノハの言葉をそのまま受け取るならナグサ以外は黄昏の中を彷徨っている(いた)のではないかと。草ほんまかわいそう。

アヤメについてはコクリコ自身も「御明察」と言う通り領域内での干渉もあり弱っていた心の側を「本当の自分だ」と答えを誘導された感じでしょうか。領域が裁くけど言葉で干渉してもOKな感じ海藤の「禁句」を思い出します。今の子に通じるんでしょうかこれ。

ただ本文でも書きましたがクズノハの言葉さえなければ私は今のアヤメが素である説を推してました。なぜなら今の黒アヤメかなり好きだから。オッドアイなのもいいよね。多分戻ったらなくなっちゃうよね。ひん。

ただナグサの腕の戻り方を考えると現実で答えを出すだけじゃ足りず、アヤメも再び黄昏に呑まれる必要がありそうでもう一波乱はあるんじゃないかと。アヤメ・シュロ・コクリコ、それぞれ行きつく先が気になって既に3章が楽しみです。あ、なんか良い感じに〆られそう。

ということで4週にわたり書かせて頂いた百花繚乱編2章の感想&考察もこれでいったん終了になります。お付き合いくださった方本当にありがとうございます。こんなにも文字を書きたくなったのもひとえに百花繚乱編2章が楽しかったからです。百花繚乱ライターさん好きだ……。

長くなりましたがデカグラマトンが飲み込まれたらどうなるんだろうと思いながら今回はこのあたりで。

機械が獲得した知性の審判も下してくれるんでしょうか。それでは~。

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