百花繚乱編2章考察|コクリコの静観とシュロという異質

【ネタバレ注意】ブルーアーカイブのメインストーリーVol.5「百花繚乱編」2章の内容や設定を含みます。

今回は考察寄りの記事として2章の中で気になったコクリコ、シュロについて考えてみます。

  • アザミの怪談がシュロの喜劇に妨害されるのをコクリコは何故容認するのか
  • コクリコ以外の記憶を持たないシュロは何者なのか

関連しそうなシーンを振り返りながら自分なりの考えを語ってみます。

シンプルに百花繚乱編2章のここ好きを語った記事はこちら(前編後編)なのでもしよろしければ。

コクリコ

花鳥風月部の部長にして怪書を用いた「怪談」で風流を成そうとする魑魅魍魎の統領。

のはずなのですが。

百花繚乱編1章では失敗し怪書を失い帰ってきたシュロを叱ることもなく、2章に至っては結実した怪談を喜劇で滅茶苦茶にされても顔色一つ変えず「面白い余興さね」と止めもしません。

むしろ憤りを見せるアザミを治めてまでいます。

百花繚乱編2章 第25話「三冊目の怪書」 より

成り立ちを考えると「何故?」と思わずにはいられなかったので、各シーンから考察してみようと思います。

花鳥風月部部長の原点

彼女の行動原理を推察するにはバックボーンの理解が不可欠です。

百花繚乱編2章12話「勘解由小路家の巫女」にてユカリが読んだ日記から、コクリコは20年前に姿を消した勘解由小路の巫女だと判明します。

それどころかユカリと似た正義感を持っており百花繚乱紛争調停委員会に身を置き、委員長になるほどの実力者でした。

しかし20年前の祭りの日、その正義感から祭りでの「巫女」よりも「百花繚乱委員長」としての役割を優先させたことで人生が大きく狂い始めるのです。

家の面目を潰した彼女は『一族の恥』とまで非難され、耐えられず勘解由小路家を出て百花繚乱を唯一の居場所として固執していきます。

しかし正義への純粋な気持ちがなくなったからか腕は鈍っていました。そしてそれを好機と見た者に継承戦で敗れ、唯一となった心の拠り所さえも簒奪されてしまうのです。

両の手から全てが零れ落ちていくのを感じた彼女は藁にもすがる思いで噂上の大預言者、百花繚乱設立者であるクズノハを探します。

でも、伝説の大預言者――百花繚乱を創ったクズノハならば、
わかってくれるはず。

 ※百花繚乱編2章12話「勘解由小路家の巫女」 より

「わかってくれるはず」とは一体何を指していたのでしょうか。自分のまっすぐな正しさでしょうか、あの継承戦は間違いだということでしょうか。もしくは、自分の悔しさでしょうか。

いずれにせよ、最後の寄る辺として探し求めたクズノハはついぞ見つかりませんでした。

希望を失った少女は、いつしか絶望と憎悪を身に纏っていた。
百花繚乱の始まり……勘解由小路家の教え……すべてが偽りなら。
自分が憧れ、信じてきたものが……誰かの物語なら。

次は、自分が「物語」を創り出す。

百花繚乱編2章12話「勘解由小路家の巫女」 より

これが「花鳥風月部部長」コクリコ誕生の瞬間です。

何故怪談を台無しにされても許容するのか

他者の描いた物語によって自身の価値観を否定され続けて来た。私利私欲の物語に正義を、他者の成り上がり物語に立場を、風説に過ぎない噂話に信仰を。それがコクリコの背景でした。

「絶望と憎悪を身に纏っていた」とあることからも、自分が受けた苦しみを世界に返してやろうという復讐心から怪談を結実させようとしているのだと最初は思いました。

なので実は1章シュロの失敗を許したのはそこまで違和感は無いのです。「20年前の祭りの再現」が出来たことにより、そこに恨みを持つ存在をほのめかすことは出来たのですから。物語の序章としては十分でしょう。

ですが今回は違います。

結果を許した1章と異なり今回の事態はまだ変えようもあるタイミングです。ただ一言告げるだけでコクリコに陶酔しているシュロは暴走を止めるはずなのに、そうしない。

考えられるパターンは二つあります。

一つは「復讐をすぐに終わらせてしまっては溜飲が下がらない。じわじわと長く苦しんでもらわないと」という考えです。蛇が丸呑みして消化するような思考でアザミに似合いそうですね。

しかしこちらの説を推すには悲劇が喜劇に変えられていく様を見た反応が「ほう……おもしろい余興さね」程度なのが気になります。復讐対象が苦しむ姿がここまで、ならまだしも苦しみに愉悦を感じるべき場面が喜劇に塗り替えられたら少しは嫌悪感などを抱きそうな気がするのです。

そこで私はもう一つの仮説「そもそも復讐が最終目的ではない」を推します。

“いつしか絶望と憎悪を身に纏っていた”コクリコが何を決意したかをもう一度見てみましょう。

次は、自分が「物語」を創り出す。

この世にうごめく風聞や怪談を種とし、黒い花を咲かせ……
「魑魅魍魎の統領(かちょうふうげつ)」になってみせる。

 ※百花繚乱編2章12話「勘解由小路家の巫女」 より

注目したいのは2文目、特に後半の「魑魅魍魎の統領(かちょうふうげつ)」です。

人の評判を気にした者の物語や噂によって人生を狂わされたコクリコがその語り手を「魑魅魍魎」と皮肉を込め、自分はその統領となる、というのは理解できます。

ですが何故そこに「花鳥風月」という名を与えたのでしょうか。

花鳥風月とは「自然の美しい風景」を表す言葉です。転じてそれを題材とした風流を示すこともあります。何故「魑魅魍魎の統領」が「自然の美しい風景」を冠するのでしょうか。

私は「自分を襲ったような人々の私利私欲に塗れた誰かを傷つける物語、それこそが人間の本質(≒自然の美しい風景)なのだ」とする解釈に落ち着きました。

そう考えると色々な面に納得が出来たからです。

思えば20年前のコクリコは「まっすぐ」つまり正しさに忠実であろうとして、しかしそれを何かに誰かに邪魔されてきました。そこで思ったのではないでしょうか。これが人間の本質であるというならば、それを世界に証明してやると。

人の弱さや醜さを映した怪談によって世界が燃え落ちるのであればそれは本質であり必然。20年前の自分も「仕方なかった」「そういう世界なのだから」と納得できる答えを示そうとしているように感じます。

同時に心のどこかで、それを否定されることも無自覚に望んでいるような気もするのです。だって人の弱さや醜さの否定は、あの時の自分の「まっすぐさ」を肯定するものでもあるのですから。

要約するとコクリコの姿勢は「自分が受けた物語で世界に問うてやる」だと私は思っています。

少しずつ、少しずつ――共に作っていこうさね。
世界を燃やす、我らの『物語』を。

 ※百花繚乱編1章 第26話「願いを込めて」 より

2章のナグサとのやり取りでもこんなセリフがありました。

万一、その手が本当にアヤメへ届いたのならば。
――少しだけ、我も違う物語に目を向けてみようかね。

 ※百花繚乱編2章 第26話「暗く、深い影の底から」 より

ナグサの弱さを抱えたまま進む「まっすぐさ」を見てこんな事を言ってしまう人が、復讐や憎悪に囚われてるとはどうも思えないんですよね。それらであれば自身をも燃やし尽くすような激情であり、人を見て考えを変えようなんて思わない気がするのです。1章で先生の言葉に激昂するシュロのほうがよっぽどその姿として適しています。

それにしても自らの物語をかき回すナグサを「百花繚乱にいるよりも、よほど語り手向きや思うよ」とどこか楽し気に語る様子から一変してこの表情に変わる様子。その寂し気な視線はどこに……いつに向いているのでしょうね。

花言葉

コクリコの花言葉は「いたわり」「思いやり」「慰め」だそうです。20年前の事件前はユカリに似た正義感をもっていましたし、本来の性質はそちらよりなのかもしれません。

シュロへの異常なかわいがり

ここまで書いてきた怪談への姿勢以外にも、コクリコの考察要素としてシュロへの甘さと謎の特別視があります。

百花繚乱編2章 第25話「三冊目の怪書」 より

何を行っても許すどころか、「自分の道を見つけたんなら、無理に連れてくこともないのやけれど」と花鳥風月部からの離脱さえ容認するほどです。まるで母親のようだと評しても全く間違ってる気がしません。「そう熱くならんでええやろ、蛇女」とはえらい違いだ。

そして順番は前後しますが同26話でシュロへの特別視も見て取れます。

百花繚乱編2章 第25話「三冊目の怪書」 より

特別可愛がるだけではなく、明確に「ただの花鳥風月部の一員」ではない扱いです。詳細はシュロ欄で語りますが、シュロって純粋なまでに嘘を嫌って人の悪意を信じてますよね。どこから生まれたんでしょうね。そんな人の中の悪を信じる、まさにコクリコが持っていてもおかしくないような感情が。

シュロを黄昏に、と言った。
それがどんな結果を招くのか……怪芸家のおまえさんはよぉく知ってるはずだ。

 ※百花繚乱編2章 第25話「三冊目の怪書」 より

ただアヤメやナグサといった一般の生徒が黄昏に飲まれるのとはまた違った意味を持ちそうな言い回しです。あの二人と同じようになるだけなら「怪芸家のおまえさんは」なんてつけませんからね。

“なくした”稲生霊怪録

コクリコの持つ三冊目の怪書についても触れておきます。

人の欲望を映す一冊目「稲生物怪録」。人の恐怖を映す二冊目「稲亭物怪録」。

そして人そのものを映し出す三冊目が「稲生霊怪録」でしたね。

シュロは、これが20年前の大雪原で消えたと思っとったみたいやけど……。

いいや、なくしたというのも間違いとは言えんかな。
本来の形をなくし――散ってしまったものを無理やり再生させているからね。

 ※百花繚乱編2章 第25話「三冊目の怪書」 より

まず1文目ですね。「20年前の大雪原」と言っています。20年前と言えばちょうどコクリコが祭りで巫女を演じなかったことで一族から非難され家を出た年でしたね。そして大雪原へもクズノハを探しに行っていたはずです。

仮にこれがコクリコがクズノハを探しに行って絶望したその日だとしたら、「20年前の大雪原で消えた」とシュロはいつ認識したのでしょうか。

一緒に大雪原に向かった?こんなになついてくれる子が近くにいてあそこまで絶望するとは考えづらいです。独りだった方がしっくりきます。

「思っとった」という口ぶり的にコクリコが教えたわけでもなさそうです。そもそも何故認識違いを訂正しないのでしょうか。そこに語れない事情が無いのであれば、ですが。

そして3文目を見てみましょう。私は初めてこの文章を読んだ時「ん?」と引っ掛かりを感じました。

百花繚乱編2章 第24話「鬼哭は獅子の遠吠えに」 より

全く同じとは言えないかもしれませんが、別の怪書を燃えかすから直した事に関する会話がこちらです。このように普通は「復元」とか「直す」という言葉を使う気がするのです。

もちろん「再生プラスチック」のような言葉もあるので完全な間違いではないのですが、個人的には別の意図を勘ぐってしまいました。

本来の形をなくして無理やり再生させた今の形……人の姿とかしてたりしません?

シュロ

既にフライング気味に語ってしまっていますが、シュロの異質さについてもかなり匂わせがありました。魅力的な悪役から可愛く成り果てたと思ったら意味深な出自不明と中々こちらの印象をかき回してくれます。

怪書を無理やり再生させた話を聞いてから立ち絵の包帯と湿布が気になって仕方がありません。中二ファッションだと思ってたものが急に別の意味を帯びてきた。

ナグサだけじゃなくて君も十分語り手向きだと思うよ。

造花

百花繚乱編2章第16話。2章後編始まった直後いきなりこれでハンマーで頭殴られたような衝撃を受けたのを覚えています。掴みと引きがお上手ですこと。

さて内容としてはコクリコとシュロが二人きりで今回の功績について話し合っています。その中でシュロは「本来味方を襲わないはずの付喪神が何故自分を攻撃したのか」と問うのです。

コクリコの答えは要約すると「怪談は心から生まれるもの。その人の心を信じられないのに何故怪談なら信じられると?所詮噂が静まったら消えゆくものだから気にするな」というものでした。

それを受けたシュロは怪書が生んだ偽アヤメが普通の生徒と変わらないように見えたと語ります。そして続けて問うのです。

怪談から生まれた百物語が、自分を生徒の一人だと信じ込むことはあるんですか?

 ※百花繚乱編2章 第16話「造花」 より

なんて不安そうな表情で尋ねるんだ……。表情差分の多さが活かされてます。なお私は今SAIKYO IKKAKU RAIONでノリノリなシュロの楽しそうな表情を知った上でこの記事執筆中です。いや辛。あの後シュロがどんな表情して帰ったのか考えとうない。

この問いにコクリコは「……愚問さね」とはぐらかし、何故それを聞くのかと返します。

もしも……コクリコ様のこと以外、何の記憶も持っていない手前が――
噂が、静まった時……どうなって、しまうのか。
気になって……。

 ※百花繚乱編2章 第16話「造花」 より

コクリコの「所詮噂が静まったら消えゆくものだから気にするな」的発言をシュロがどんな気持ちで聞いていたのかよく分かります。仕事中先生の隣でPC相手に表情ころころ変えてレスバしてる未来が見たいよ俺。

さらに「コクリコ様のこと以外、何の記憶も持っていない」なんて重要な設定もさらっとお出しされています。もうこの16話が答えなんじゃないかと思うほどですが、またミスディレクションだったりするのでしょうか。

結局コクリコは「話の続きは世が焼け落ちてから」と答えを保留したまま16話「造花」は幕を閉じます。

この表題人の心無さすぎない?

嘘に固執し純粋なまでに人の弱さと悪意を信じる姿

シュロは潔癖と言えるほどに嘘を汚いものととらえ、純粋なほどに人の弱さと悪意を信じ切っています。まるで生まれたてのそれしか知らない赤子のように。

百花繚乱編1章 第24話「普通のこと」 より

コクリコ欄でも書きましたが、この感情は”いつしか絶望と憎悪を身に纏っていた”あの日のコクリコが一番ふさわしい持ち主だと思うんですよね。「勘解由小路家の者としてまっすぐ在りなさい」という言葉や「クズノハ様の言い伝え」に裏切られ傷ついていたのですから。

ではシュロはどこからこの感情を得たのでしょうか。「コクリコ様のこと以外、何の記憶も持っていない」のに。

「稲生霊怪録」は人そのものを映し出す怪書でした。

もし自分の絶望と憎悪のみから生まれた存在がいるのだとしたら。自分以上に純粋無垢にその感情を持った存在がいるのだとしたら。

せっかく捉えた天敵を牢から出そうが、悲劇を喜劇に塗り替えられようが、その憎悪の行く末を見届けたいと思うのではないでしょうか。

「シュロを黄昏に」がどんな意味をもつのか、なんとなく分かる気がします。

異質さの片鱗

その他細かい「おや?」と思ったところも挙げてみます。

床落とし等特殊ではない直接的な攻撃でダメージを受けた相手を列挙してみると

  • ナグサ
  • アヤメ
  • クズノハ
  • 唐笠お化け

でした。当初私はキキョウの「アヤメの攻撃が通ったという事はシュロは怪書を持っていない」に納得していたのです。でもよくよく考えると

  • ナグサ(百蓮)
  • アヤメ(怪談)
  • クズノハ(百蓮相当)
  • 唐笠お化け(怪談)

ですよね。見逃してなければシュロにダメージを通した者は怪異に通る特殊な力の持ち主以外いないんじゃないでしょうか。だから怪書なんだ!とまでは言いませんが、設定上その余地は残されているように思えます。

また1章ラストで逃げたシュロの追跡をした陰陽部の言によれば

百花繚乱編1章 第26話「願いを込めて」 より

稲生物怪録から生まれたクロカゲは書の闇から浮かび上がり、闇の中へ沈んでいきました。シュロにもそのような手段があるのでしょうか。

まとめ「いつかの芽吹きを待ちわびて」いるのは誰か

長々と書いてきましたが私の予想を簡単にまとめると

  • コクリコの目的
    • 自分が創った物語で世界に人の本質を証明すること
  • シュロに好き勝手させる理由
    • 自らの憎悪の現し身でありその行く末を知りたいから
  • シュロって何者?
    • コクリコの絶望と憎悪を写した稲生霊怪録の再生怪人

こんな感じでベットしています。

背景的には激情持ってそうなのにそんな雰囲気見せない余裕たっぷりなコクリコ様読めな過ぎる。なんならナグサの姿に感化されてそうで「やっぱ根幹いい人では?」とさえ思ってしまう……。

また今回語りませんでしたがナグサに対して「我が先輩である……その事実を振り払えるのかえ?」と告げていたのも印象に残っています。

そういう事もあって一番「いつかの芽吹きを待ちわびて」いるのってコクリコ様なんじゃないかなとも思ってしまうのです。それが怪談を種にした黒い花であれ、その黒い花もはねのけるまっすぐな若い芽であれ。

そしてシュロ……このままだとシャーレに来てくれる望みかなり薄そうなのが辛い。とてもつらい。お前消えるのか……?ここから入れる保険はありませんか。

黄昏についても書きたかったのですが文字数の関係で割愛。いつか別記事で出すかもしれません。

それでは色々書いてきましたがこのあたりで。

わかるー、とかそこだよね!みたいに共感して頂けましたら嬉しいです。

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